智恵子抄のカバーイラスト
高村光太郎の"智恵子抄"をイメージしたカバーイラストを制作しました。
智恵子抄は精神病になった智恵子の様子を痛々しくも愛のある目線で表現した、
彫刻家でもある高村光太郎の詩集です。
"美化され過ぎている"という意見もありますが、
こんな風に捉えることで光太郎自身が自分を保つことができていたのかもな...なんて想像したりしました。
日本では家庭内の問題はそれぞれで解決する、内輪でなんとかする、なんなら隠そうとするのが当たり前のように感じます。
海外みたいに気軽に行くカウンセリング(夫婦間セリングだけでなく様々なテーマの相談コミュニティ)ができるようになれば良いと思うし、これからきっとそうなるはずだと思います。
同じ境遇の人とのコミュニティがあれば多様な物事の捉え方を学べると思うし、それは全ての事象をポジティブに捉えろとか被害者意識を持って生きていくとは違くて、その時の自分の気持ちを素直に吐き出すことができる環境、自分を理解しようとしてくれる他人がいるということが分かるだけでも、子供も親もそれぞれがどれだけ救われるんだろうなと思います。
話が逸れてしまいましたが...
イラストのイメージは以下の"智恵子抄"の一節をイメージして制作しました。
『風にのる智恵子』
狂つた智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴さつきばれの風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣ゆかたが松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ
私はこの光太郎の物事の見方が好きです。
通常なら太宰治みたいに悲観的にも捉えても良いのに、
あえてこんなファンタジーめいた雰囲気にしたこの詩は、
言葉遊びにも思えて、事実、人生って俯瞰すればそんな風に捉えられるのかもとも思い知らされた気がして、
とてもお気に入りの詩集です。